2018年9月13日木曜日

Seguridad Social (Ⅱ)

公的医療制度に関しての話を続けます。Seguridad Social (Ⅰ)からの続き

前回は経済的負担の違いについて紹介しましたが、日本の公的医療保険との一番の違いは何といっても受診の仕組みであると思います。日本でも近年「かかりつけ医」という言葉が浸透してきましたが、それでもまだ餅は餅屋、つまり風邪の症状の時には内科、皮膚に症状があれば皮膚科、視力が落ちたと感じれば眼科、という風に専門医を探して受診するのが一般的かと思います。一方スペインでは「かかりつけ医」にしか予約が取れません。わたしにも、SS受診カードを発行されると同時にかかりつけ医を一人あてがわられましたが、どんな相談をするにもまず彼女のところへ行かなければなりません。これが、慣れるのに一番苦労した仕組みです。日本にいたころからアレルギー症状に悩まされていましたが、公的医療保険を使って自らアレルギー科に行くことはできませんでした。何故かというと、専門医へはかかりつけ医からの予約の依頼を出してもらって初めて受診できるのだからです。日本では地元の医院が大病院へと”紹介状”を出す要領でしょうか。どんな症状でも、まずかかりつけ医に相談しに行きます。わたしの場合は原因不明の慢性蕁麻疹ですから、抗ヒスタミン薬を服用することで日々の症状を和らげます。日本では二度検査をし、原因の一部は見つかりましたが、それとは関係のない状況でも症状が出て、さらにスペインに来てから悪化する一方なので、再検査をしたいと思っていました。ところがかかりつけ医に初めて相談しに行ったところ、抗ヒスタミン薬を処方されたのみでした。日本で服用していた飲み薬はヨーロッパにはなく、塗り薬タイプのみとのことで、違う薬を処方されました。これが全く効かず、再度診察に行くと違う薬を処方されました。これも効かず、薬の変更ヘ行くこと数度。ある日症状が重く全身にアレルギー症状が出たため受診した日にたまたまかかりつけ医が休みで、他の医師が診てくれましたが、その医師が初めて専門医へと回してくれると言ったのです。

念願の専門医への受診ができる流れとなりましたが、ここで新たな衝撃を経験することとなりました。専門医への受診依頼(紹介状)が出されると、管轄の病院から予約の電話がかかってくるのですが、この時受話器の向こう側から発せられた日時は何と12月。その時はまだ8月後半でした。緊急を要する状態ではないとはいえ、4か月も先に予約を入れられるとは思ってもいませんでした。何とか予定を合わせ受診すると、専門医が詳しく話を聞いてくれ、血液検査へと回してくれました。しかしその検査結果を聞きに行く予約が、翌週、ではなく、翌年2月とのこと。2月に結果を聞きに行くと、検査結果に異常は見られず=原因は発見できず、とのことで、成す術がない様子。こちらが腑に落ちない顔をしていたからか、ほかの専門医の意見を聞きましょう、と言われ、次の予約をくれたのが、5月。5月に受診しに行くと、何故か予約に書かれていたのとは別の医師と研修医が診察してくれました。問診をしましたが、やはり前回の医師と同じ反応で、肌が繊細で敏感だから、という発言を繰り返すのみでした。そこでも補足的に血液検査に回してくれましたが、その結果を聞きに行くのが、次の11月です。唖然というのはこういう時に使う言葉ですね。結局専門医を受けられることになってから丸一年が経ちましたが、何か解決策が助言されるような感じはありません。さらに、わたしの症状は夏場に悪化する為、症状の悪い今診てほしい旨を7月にかかりつけ医に伝えに行きましたが、予約は変えられないのか変える手伝いをしたくないのか、やってもらうことはできませんでした。日本在住であれば、直接アレルギー科を受診し、二回の検査をして二人の医師の意見を聞くまで、きっと二、三か月で済んだことでしょう。この間、何度も足を運んだかかりつけ医受診時の待ち時間、彼女の仕事時間とその対価、そして何も改善していない現状、すべてが無駄なことのように思えますが、実際はどうなのでしょう。

かかりつけ医を持つことのいい点は、持病等すべての病状その進捗状況を把握してもらえることだと思いますし、その情報を医療システムで一括して保管しているという点が、いざというときにどの病院でも自分の体調を把握したうえで対応してもらえる為、実用的だと思います。そう思ってこの制度に慣れようと努力してきましたが、やはり疑問が多々わいてきます。きっと医師の人数が減っているというのもあるのかと思いますが、一人の医師に対する患者の数が多すぎることも原因のひとつかと思います。「かかりつけ医」とはいっても、患者は家族でも何でもない単なる他人です。「単なる患者の一人」から「気にかけてあげたい人間」にならない限り、自分の病歴・体調・価値観等を把握したうえで対応してもらえるわけはないでしょう。現に、夏場に症状が悪化して受診した際、普段は一日一錠服用の薬を二錠まで増やして服用するよう言われ、処方箋を変えてもらいましたが、これを通常の服用量に戻すために夏明けに再度受診するよう言われました。そこで受診して更新した処方箋には、これまでと変わらず二錠服用、となっていたのです。つまり一錠から二錠に増やしたという履歴を覚えておらず、機械的に処方箋を更新したものと考えられます。その時に、自分は数多いる患者のうちの一人にすぎないのだと実感したのでした。日本でかかりつけ医のいなかったわたしは「かかりつけ医」もしくは「家族医」という言葉になんだかフレンドリーそうなイメージを持ち、そんな医療現場をポジティブなものだと捉えていましたが、現実はそんなにうまくいっているわけではありませんでした。

日本国外に出て初めて「かかりつけ医」を持ったわたしの率直な感想ですが、「かかりつけ医」とはいわば小学校の担任の先生のようなものです。オールマイティーに授業を担当してくれる、莫大な知識の持ち主です。逆に、専門分野だけを担当しているわけではなく、また担当人数も多いので、30人以上の学級担任が一人ひとりの生徒・児童にそこまで時間をかけて対応できないのと同じように、患者一人一人をしっかり把握したうえで担当してくれているとは思えません。また、どうしても手のかかる患者を優先する心理があるのか、ちょっとやそっとのことでは相手にしてもらえません(という気分になります)。わたしは子供のころから眼圧が高く、定期的に検査を受けるよう言われていました。それで、スペインへ移住して一年が経ったころ、眼科で検査してもらおうと思ったのです。ところが紹介されたのは街の眼鏡屋でした。勿論視野検査などしてもらえるわけもなく、視力と眼圧を図って終わりでした。背中に激痛が走り、夜も眠れぬほど痛くなった時には、レントゲンを撮るでもなく、聴診器を当てて終わり。内臓は正常に動いているから、筋肉の痛みだろう、ということでしたが、この話を日本で薬剤師や整体師に話したところ、非常に驚かれました。人生で初めて風邪をこじらせて、いつもなら数日で回復するところが数週間完治しなかったので不安に思い受診した時も、聴診器で肺の音を聞いてくれるものと思いきやそんなことはせず、咳をしてみて、と言われたのが衝撃的でした。このように、ちょっとやそっとの体調では、基本的な診察(聴診・触診)もせず、問診で終わりだし、ましてや専門医にかかることなどできません。逆に言うと、自分自身の素人判断でむやみに専門医を受診し無駄な検査をしなくてもいいような、ある意味ダムの塞き止めのような役割になっているとはいえます。

続く

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