スペイン社会の現実で嫌いなことのひとつ、それは公共物に対するリスペクトの姿勢がないことです。道端の落書きが多いのもそのひとつ。落書きをアートとみなすこともできるけれど、その多くは卑猥な言葉だったり、単なるロゴ(落書きグループ名?)だったり、さらには家主がペンキを塗り直してもなお上から書き続けたりと、とてもじゃないけれど「アート」なんて一言で片づけられるものじゃないと個人的に思っています。
デモや集会への参加を呼び掛ける落書きもよく見かけるのですが、大衆へのアピールが出来る、アピールするのは interactivo(相互作用効果)でいいこと、というのは一意見として尊重しますが、ではその汚れた壁は誰が掃除するの?というのがわたしの質問です。一定期間ごとに市が清掃の人を雇って張り紙などを除去しているようなのですが、そこには無駄な税金が使われていると考えられませんか。(それで雇用が増えているのなら、失業者だらけのスペインにおいてはある意味いいことですけど)もし集会の存在を市民に訴えたくて落書きをするなら、集会後には責任を持って後始末をすればいいのに、そういうことは一切せず汚すだけ汚して言論だの表現だのの自由を叫んでいるのに違和感を感じているのはわたしだけじゃないはずです。
さて、そんなスペインで落書き以上にもっと悲惨なのが、意味もなく公共物を壊す輩がいることです。
Madrid郊外のこのバス停、ガラスがすべてたたき割られては新しい物に直され、その後また叩き割られる、の繰り返しです。誰が何のためにしているのか分かりませんが、うっぷんを晴らすだけにしてはひどすぎると思いませんか。公共物だから、自分の懐が直接痛まないから壊してもいいとでも思っているのでしょうか、それとも自分の所持品も含めて、物を大切にする心がないのでしょうか…。一理はある「意味のある落書き」に対して、こういう破壊行動に関しては正当な理由などさらさら見当たらず腹が立つだけです。
スペイン人(及びスペイン在住の移民者、外国人も含めて)全員が理性にかけているとは言いませんが、それでも日本社会に生きる民と比べると、物に対する愛着というか、大切に取り扱うという気持ちが少ないと感じざるを得ません。聞いた話ですが、スペインでは子供が机にぶつかって転ぶと、机を悪者にするそうです。「なんだこの机、こんなところにあって。エイエイ!」と。日本では、周りをちゃんと見ていなかった子供本人が悪いと教育できる、いい場面ですよね。本を引っ張って壊そうとする子供に「そんなことしたら本がかわいそうでしょう。本さんが痛い痛いって言っているよ」、なんていう日本の大人のセリフ、きっとスペインの子供には通じないんじゃないでしょうか。
植物も含めた生き物と、置き物と、すべてに心があると言う発想、だから人間も、動物も、花も、草も、おもちゃも本も、どれも大切にしないといけないという考え方が日本社会の秩序を保つのに大きく役立っているのだと、日本から遠く離れた場所で実感する毎日です。
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